1 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:02:13 ID:PCl86oRQ
俺「今晩おはなしいたしますのは、落語【へっつい幽霊】の……にちゃんねるSS形式への焼き直しでございます。どうかおつきあいください」
俺「えー、自炊なんてかったるい……まあ、そういう人も昔から多かったわけですが、一方で毎日きちんとご飯を作るお宅もある」
俺「今時分は、ガスコンロなんて便利なモノがありますが、昔はそんなモノ無かった。かまどに、炭で煮炊きしていたわけですな」
俺「それで、若い方にはわからんでしょうが、まあ、わたしも若いんですがね……江戸の長屋というのは、とにかく狭いわけです」
俺「その狭い土間に、かまどを作らなくてはいけない……しかし、かまどというのは、実際これがかなり大きなものになる」
俺「そこで考えられたのが、へっつい……というモノでございます」
俺「どのようなモノかと申しますと、枠の上に粘土を盛ってかまどの形に整える。上等なモノは表面を漆喰で仕上げる。今で言う七輪より大きく、本格的なかまどよりは小さいといったところでございます」
俺「モノによっては、火口が二つありまして、灰の掃除も簡単。引っ越しなどの時には持ち運べるほど小さいのに、しっかり火が使えるので、江戸のご婦人方にたいへん重宝されたと申します」
俺「当然、持ち運びできる家財道具でありますから、古道具屋などに並ぶ事も……あるわけでございます」
………………
…………
……
2 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:03:17 ID:PCl86oRQ
……
…………
………………
男「お馬さんで大当たり……懐もあったかいと、ふらっと店に入っちまったりなんかして」
男「ふむ、古道具屋ってのは、何でこう、楽しいものなんだろうな……おっ」
男「いい、へっついだな」
男「塗りもしっかりしてるし、欠けもない……おい、おやじ」
店主「はい、いらっしゃい」
男「このへっついをくれ」
店主「え、こちらをですか?」
男「そうだよ」
店主「このへっついは売り物じゃあないんですよ」
男「ここに3万って書いてあるけどな?」
店主「いえ、このへっついは壊しちゃおうと思ってましてね」
3 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:03:37 ID:PCl86oRQ
男「壊す? このへっついをか?」
店主「そうなんですよ、どうにも気味が悪くってね」
男「へえ、なにかあったのかい?」
店主「ええ、お客さんみたいに買っていかれる方が幾人もいたんですよ」
男「なら、なんでこのへっついはここにあるんだ?」
店主「ええそれで、3万いただいて、みなさんもって帰られるんですが、夜になると返しにくるんです」
男「夜にかい?」
店主「そうなんです、表の戸をバンバンたたいて、引き取ってくれって」
店主「こっちも売ったものですから、1万でなら引き取ります、でも夜分遅いので明日うかがいます、と言うと」
店主「いや、今すぐ引き取ってくれって言うんです」
4 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:03:49 ID:PCl86oRQ
男「無茶な客だな」
店主「こちらもお客さんがあってですからね、しかたなく深夜にへっついをとりにうかがうわけでして」
男「さしひき2万の得じゃねえか」
店主「そうなんですがね、夜遅くにたたき起こされるのもいやだし、お客さんにも申し訳ないと思うわけです……」
男「まあ、たしかになあ」
店主「それも、一度や二度じゃないんですよ。なんだか、気味が悪くって」
男「いや、それでも俺は買うよ」
店主「いえ、これだけはちょっと……他のへっついではどうですか?」
男「俺はこれがいいんだよ、気に入っちまったんだ」
店主「うーん……」
5 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:03:59 ID:PCl86oRQ
男「返しになんてこねえからさ、売ってくれよ」
店主「みなさんそういわれるんですよ……」
男「たのむからよ、売ってくれよ、なんなら、もそっと高くてもいいからよ……」
店主「……わかりました」
男「お、わかってくれたかい」
店主「へっついはお譲りします……で、2万つけますんで……返しにこないでください」
男「へ?……そりゃあ、さすがに悪いよ」
店主「いえ、かまいません、そのかわり、返しにこないでくださいよ?」
6 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:04:35 ID:PCl86oRQ
男「そう、そこに置いてくれ……よし」
配送屋「ありがとーございましたー」
男「いやー、今日はついてるな、競馬に続いて、こんないいへっついが2万しょってきやがった」
男「なんでこう……ツキってのはまとまってくるのかな……散歩がてらコンビニまで酒買いにいくか……」
7 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:04:51 ID:PCl86oRQ
男「コンビニが近いってのも便利だよな……あれ? ここ俺の部屋……だよな……」
男「へっついを入れてから、なんだか部屋の中が陰気になりやがったな……」
男「まあ、気にすることないか、店に並べてあったから、少しばかりしけってんだろうな……うん」
男「それより、さけ、酒」
8 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:05:01 ID:PCl86oRQ
男「ぐびっ……ふう」
男「それにしてもいいへっついだな……すこし古いけど、漆喰もしっかりしてるし」
男「細工も上等だし……いい職人の仕事だな」
男「ぐび……ぐびっ……うん……zzz」
9 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:05:14 ID:PCl86oRQ
男「……ん……ううっ、酔って寝ちまってたか……たしか冷蔵庫にポカリが……」
男「ありゃ?台所から光が漏れてやがる……」
男「へっついに……ひとりでに火がはいってんのか」
男「あれ?」
女「うらめしや……」
10 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:05:38 ID:PCl86oRQ
男「はい、ちょっとごめんなさいよ」
女「あわわわっ」
男「ポッポッポカリー……」
女「あの」
男「うぐうぐ……ぷはぁっ、酔い覚めのポカリ、最っ高!」
女「あのー」
男「なんだよ」
女「わたし、これ、なんですけど」ヒュードロドロ……
11 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:05:56 ID:PCl86oRQ
男「どれ?」
女「これですってば」
男「ふーん、きれいな手だなー」
女「どっ、どこを見てんですか、これですよ!これっ!」
男「つめもちゃんと手入れしてるんだな、うっすらピンク色で、健康だな」
女「……ううう」
男「それで、幽霊さんは何の御用で?」
女「わかってるんじゃないですか」
12 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:06:23 ID:PCl86oRQ
男「そりゃ、古道具屋の親父の反応を見れば、いわくつきのへっついだってわかるし」
女「ううぅ……からかわれてる」
男「それにしても、いまどき『うらめしや』はないだろ、一周して逆に新しいよ」
女「一周……」
男「それで、用はなんだ?」
女「お願いがあるんです」
男「お願いか、まあ、できる範囲でならかまわないけどよ」
女「ほんとうですか?」
13 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:06:39 ID:PCl86oRQ
男「ああ、言ってみろよ」
女「それじゃあ…このへっついを壊してほしいんです」
男「なに?」
女「このへっついを壊してください」
男「壊すもなにも、お前はこのへっついに取り憑いてるんだろ?」
女「そのとおり、このへっついは、わたしが作ったものなんです」
男「え、こんなに上等なへっついをか?」
女「上等だなんて……ありがとうございます、実はわたし、生前は左官の修行をしてまして」
14 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:07:00 ID:PCl86oRQ
男「へえ、女で左官か」
女「ええ、それで、家や壁でなく、へっついを作るのを親方にすすめられて」
男「ああ、かまどは女が作ったほうが、いいものが作れそうだな」
女「親方もそう言ってました」
男「それで?」
女「いくつか作ったへっついの評判がよくって、料亭から注文をもらったんです」
男「へえ、料亭から……」
女「がんばって完成させたのですが、引渡しの前に、はやり病にかかって……」
15 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:07:14 ID:PCl86oRQ
男「料亭に渡す前に死んじまった……と」
女「いえ、料亭に納めはしたんです」
男「ん? それじゃあ、なんで古道具屋にへっついがあったんだ?」
女「それが…はやり病にかかった職人のへっついなんか使えるかって、送り返されたんです」
男「……」
女「工房に住み込みで働いていたわたしは、親方と料亭の人のやり取りを聞きながら、返品された自信作の、このへっついを見ながら……」
男「息を引き取った……と」
女「はい、それで気づいたら、このへっついに取り憑いていたんです」
16 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:07:32 ID:PCl86oRQ
男「つまりは、料亭の奴らに対する恨みってわけか?」
女「いえ……清潔さを大切にする料亭のことですもの、仕方のないことだと思います……ただ」
男「ただ?」
女「わたしの全てをこめたこのへっついが、使われないで朽ちていくなんて……くやしくて、くやしくて……」
男「でも、なんでへっついを壊せなんていうんだよ……アンタの自信作なんだろ?」
女「わたしも、本当なら料理に使ってほしいんですが、古道具屋のへっついなんて、買うのは貧乏学生くらい。買ってくださったみなさんは、お茶の湯沸かしくらいにしか使ってくれなくて」
男「……」
女「来る日も来る日も、お湯を沸かすだけ……それならいっそ、このへっついを壊してほしいと、未練を断ち切りたいと思ったんです」
17 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:07:51 ID:PCl86oRQ
男「それで、化けて出たのか」
女「……はい、でも、こうやって話をしてくれたのは、あなたが初めてです……みなさん、わたしが顔を出したとたんに逃げ出しちゃうんです」
男「まあ、驚かなかったって言えば、ウソだけどな」
女「……ごめんなさい」
男「……」
女「……あの?」
男「それで、へっついを壊して、あんたはそれでいいのか?」
女「え……」
18 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:08:12 ID:PCl86oRQ
男「俺はこんな良いへっつい、他に見たことないよ……幽霊さんの話を聞くだけでもわかるよ。がんばって作ったんだろ?」
女「……はい」
男「死んでもこのへっついのことが気になって、成仏できないのに……それなのに」
女「でも……もう、いっそ……」
男「いいや、このへっついは俺が買ったんだ、今は俺のものなんだ、気にいってんだ。それを壊すもんか!」
女「……もらったんじゃないですか、2万おまけにして」
男「……」
女「……」
19 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:08:44 ID:PCl86oRQ
男「いや……それはそれとしてだ、俺はあの値段でも買ってたし、古道具屋のおやじが値を吊り上げても、食い下がって買ったと思う」
女「ほんと……?」
男「ああ……俺はこのへっついにほれたんだよ、こいつで飯を作りたいとも思った」
女「……」
男「だから、壊すなんていわないでくれよ」
女「……ん」
男「幽霊さん?」
女「うう……ありがとうございます」
20 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:09:03 ID:PCl86oRQ
男「うわわ、泣くなよ」
女「……うれしくて、うれしくて」
男「ほら、手ぬぐい……」
女「ありがとうございます」
パサッ
男「あ…」
女「あ…」
男「さわることは……できないんだな」
女「いえ……ありがとうございます」
21 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:09:19 ID:PCl86oRQ
男「え?」
女「涙は、止まりましたから」
男「そっか」
女「はい」
男「……」
女「……」
男「よし、飯を作ろう! 夜食にしようぜ!」
女「え……はいっ!」
22 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:09:38 ID:PCl86oRQ
男「お、いい返事だな……とりあえず、飯を炊くかな」
女「ご飯ですか? それなら任せてください」
男「え、研げるのか?」
女「いえ、炊くときの火加減の調節です」
男「なるほど。それなら、5合くらい炊くかな」
女「一度にそんなにですか?」
男「釜ならあるんだよ、ほら」
女「わあ、すごい……」
23 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:09:54 ID:PCl86oRQ
男「釜で炊いた飯が好きでさ、前にあの古道具屋で買ったんだ」
女「あ……もしかして、このへっついを買ったのも」
男「うん、飯を炊きたかったからってのもあるな……米を研いで……と」
女「手際がいいですね」
男「一人暮らしも2年目だから、上手くもなるよ……これでよし」
女「しばらく水に浸しておくんですね」
男「そう……それで、冷蔵庫の中には…マヨネーズと豆腐……だけか」
女「?」
男「ちょっとコンビニ行ってくる」
女「え、はい」
24 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:10:08 ID:PCl86oRQ
男「ただいま」
女「おかえりなさい、どこに行ってたんですか?」
男「ん? おかずがなかったから、買出しにね」
女「こんな遅くに、お店が開いているんですか?」
男「ああ、コンビニだしな」
女「? ……そうですか」
男「がさがさ……」
女「……」
25 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:10:30 ID:PCl86oRQ
男「とりあえず、海苔のつくだ煮と卵を買ってきた。卵焼きは好き?」
女「えっ!?」
男「あれ、嫌いだった?」
女「いえ……その……」
男「?」
女「そんなに……気を使っていただかなくても……わたし……」
26 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:10:44 ID:PCl86oRQ
男「……まあ、そんなにかしこまらないでよ……卵焼きは好きなんだろ?」
女「はい……でも」
男「それなら、一緒にいるんだから、飯くらい付き合ってくれよ」
女「そんな……」
男「ね?」
女「うう……わかりました」
27 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:11:50 ID:PCl86oRQ
男「さてと、まずは飯を炊いちまおう」
女「はい」
男「木質ペレットを入れて……と」
女「あ、火種なら出せますよ」
男「ほんと? そんならお願いするよ」
女「いきますよ? うりゃっ!」
パチッ……パチパチパチ
男「おお、点いた」
女「それでは、はじめちょろちょろ、なかぱっぱっと」
28 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:12:43 ID:PCl86oRQ
男「飯はこれで良し……卵焼きを作るか」
女「はい!」
男「卵を割って……砂糖をたっぷり、塩と醤油をすこしずつ……」
女「え、タマゴを2個?」
男「ん? もっと焼くか?」
女「いえ、滅相もない!」
男「そうか、フライパンで焼くから、もう片方にも火を起こしてくれよ」
女「はい!」
パチパチパチ
29 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:13:16 ID:PCl86oRQ
男「ふんふーん」
女「すごい、手際がいい……」
じゅわわぁー
男「よっと」
女「わぁ、上手……」
男「……おい」
女「ふぇ?」
男「飯が焦げてるって!」
女「え……ああっ!」
30 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:13:40 ID:PCl86oRQ
女「……すみません」
男「気にすんな。少し焦げてるくらいが釜の飯って感じで美味いだろ」
女「はうぅ……」
男「でもフライパンばっか見てたけど……なんで?」
女「見とれてしまって。ごめんなさい」
男「見とれ……あはは、ありがと。もうあやまんなくていいからさ、味噌汁はインスタントな」
女「いんす? ……はい」
男「?」
31 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:13:56 ID:PCl86oRQ
男「いただきます」
女「い、いただきます」
男「うん、ご飯はよく炊けてる」モグモグ
女「よかった……」
男「あ」
女「どうしました?」
男「そうだった、触れないんだよな」
女「いえ、お気になさらず」
32 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:14:32 ID:PCl86oRQ
男「ごめん、あまりに生き生きしてるから、つい」
女「いいえ、とてもうれしいです」
男「え?」
女「お供え物のようなものですから、あのへっついで作っていただいたお料理なら、わたしも味がわかるんですよ?」
男「そうなのか」
女「はい、卵焼きなんて久しぶりで、ほっぺた落ちちゃいそうです」
男「そりゃあ良かった」
女「本当にお料理上手ですね」
33 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:15:33 ID:PCl86oRQ
男「俺、これでも調理師の学校に通ってんだ」
女「へえ、板前さんですか、すごいです」
男「これから毎日、あんたの分も料理作るからさ、へっついを壊せなんて言わないでくれよ?」
女「でも……」
男「どうせ行くと来ないんだろ? 遠慮すんなって」
女「あ、ありがとうございます。大切に使ってください」
男「うん、これからよろしくな」
女「あ、でも、お家賃に食費が……」
34 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:17:05 ID:PCl86oRQ
男「気にすんな。おまえのへっついのおかげで、火代は浮くんだからさ」
女「は、はい! 火おこしがんばります!」
男「おう、よろしく頼むぞ」
女「そう、わたしは幽霊。おアシは無理でも火は出せるんです!」エッヘン
男「人魂……火の玉で炊いた飯か」
女「コレがホントのソウルフード」
男「やかましいわ」
女「てへへ」
………………
…………
……
35 : ◆WjI07W0ub6:2012/06/05(火) 22:17:57 ID:PCl86oRQ
……
…………
………………
俺「へっつい幽霊でございます。おあとがよろしいようで」
俺「ご来場いただきありがとうございました。
外は暗うございます。
お帰りの道、お足元にお気をつけて」
幕。
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